神の国日本における、占いの歴史とは

国の安泰と、五穀豊穣を願って占った歴史

日本人は、太古の昔から「八百万の神」といって、木々や石・大地の森羅万象に神が宿るとして、信仰する習わしがありました。
そのなかで、自然と神々の力を借りて、運命や自然の力を読み解きたいと考えられたのが、占いの起源であったのではないでしょうか。

古墳時代以前の古代の日本では、中国から伝来した「太占」という、鹿の肩甲骨を焼いて,そのひびの入り方で占う方法が用いられていたそうです。
ある意味偶発的に起こる現象から、国の進むべき方向性や、農作物の作付けなどのタイミングが計られていたのです。

文明の利器も天気予報もない古代において、占いは、国の安泰と豊漁や五穀豊穣を願う人々が、神様の意思をはかるために用いた唯一の手段だったのです。

祈祷やスピリチュアルな占いの世界

飛鳥時代になると、自然界の陰陽と、木・火・土・金・水の五行の変化を観察して人間界の吉凶を占う「陰陽五行説」が伝来しました。
陰陽道は、陰陽五行説が持つ中国の占術や天文学の知識を消化し、神道や仏教や道教の影響を受けながら、日本独自の発展を遂げて誕生したものと考えられています。
陰陽道を操る陰陽師や呪術師は、もともとは人びとの病気を治療し、邪気から守るために活躍していました。
けれども、律令制が施行された後には、吉凶の判断・天文の観察・暦の作成の管理など、日本の国家にも大きな影響を与えるようになりました。
陰陽師で有名な安倍晴明は、陰陽道の占術に卓越した才能で、宮廷社会から絶大な信頼を受けて、占い師・祈祷師としての立場を確立させました。


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